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同窓会報 第8号 (1965年6月10日発行)

学級増後の都立と私

斎 正子教諭    

 十三期生の水谷、山本両君がこの会報の編集者であり、私にも何か書くように依頼された。 十三期といえば昭和三十八年三月の卒業生なのに、「学校はずい分変わったでしょうね。どんなですか」ときかれた。 ベビーブームによる学級増の波及とした都立高校−小学級から大学級になったその変化の内容が想像もつかないらしい。 人間の変化のもたらした質的変化が、今後の母校をどうかえていくのか−同級生一般の方たちの関心も、ここにあるようである。 そうきかされても、私たちには、あまり身近に、その場につきすぎていて、正確に答えられるか確信がないが、思いつくままに、最近の変化を述べてみたい。

講堂からはみ出る(?)生徒

 今年の始業式には、在校生が遂に千人を超えた。三学年が同時に講堂に坐るには、固定椅子の外に、通路やかぶりつきまで移動椅子が入れられた。 一番前に着席した生徒は、壇上の校長さんを天井を見つめる格好で話をきいていた。
 三年七学級、二年六学級、一年六学級、計十九学級である。生徒大会も、やたらに開けなくなった。 全員集まったら席が大変である。成立定数すれすれでも、講堂内はなかなかの盛況にように見える。 自治委員会も、各学級二人としても、執行部をいれて四十数人で一教室満員である。 千人を統一し団結させるには、前より実力がいる。その辺が問題になる。 いきおい、形式に流れ易い。直接自治から間接自治のうごきの中で自治の形式化をいかにして防ぐか。これも問題である。
 以前、三学級の頃は、お互いが知り合いであった。私たちもみんな生徒を知っていた。今はちがう。 今年の三年生は選択によってクラスを編成したため、二年になって、組みかえしても、ABC三組はその中だけでDEFG四組のメンバーとは絶対に、一緒にならないようなしくみになっていた。 同学年でありながら、全然知らない路傍の人−そんな学年になった。 三年の春休みの修学旅行・学習会の頃から、その欠陥をなくそうと、生徒たちが動き出した。
 教師や生徒の眼の死角にある生徒−注意はしていても大学級になって一番心配されるのは、やはりその点である。
 学級が増えて、自ら生じたのが学年委員会の組織である。 以前、学級委員は、自治委員とちがって手持ちぶさただった。 しかし学級数がふえてみると、学年としての統一意見や行動が要求される。 クラスの意見を学年全体としてまとめ、学校側と自治会側へ意見として出す。 こういう組織上の問題が、必要から自然に生じるその姿は、水が低きに流れて、川となるのと全く同じである。
 学級が多くなると、学校の考えを生徒一人一人に浸透させるにも、変化が生じて来ているように思う。 教師間の問題理解のちがいが生徒側の理解に差をもたらす。昔は担任三人によって、「今日のH・Rどうする?」調だったが、今は担任会議を毎週開いて、話し合いと確認に明けくれている。 担任の他にクラスをもたない学年主任というのがおかれて、学年をまとめている一方、生徒課を廃止して、三人の学年主任で生徒指導をひきうけることになった。 片山・柴田先生と斎で、今年は私は自治会やクラブ関係で生徒と接触している。


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