Homeコラム旧制府立(都立)高校の歌たち(3)

文乙歌「いざ友、歌はなむ」

 一晩でこの歌をつくったという作詞作曲者は、入学した府立が大好きになり、長く府立の学生で居たいため落第と留年を繰り返し、七年の就業年限に十二年半をかけた豪傑。それも戦後は、戦争中の年限短縮によって強制的に卒業させられたのでした。

 この歌は、選ばれし者である自分たちの明るい未来を力強く告げ、歌う者に勇気を与える分かり易い詞、声高らかに歌える旋律ですから、府立の学生は誰もが暗誦して高唱しました。独りで歌うも好し、みんなで歌うのはなお好し、気持ちの良い歌なので対抗試合に勝った時などに好んで歌い、勝利に酔ったのです。

 文乙とは文科の乙類でドイツ語を第一外国語とするクラス、当時のドイツは哲学、文学、音楽、医学、軍事学などの分野で本流とみなされ、同盟国でもあることから人気が高かったのでした。

 作者は、このほかにも幾つもの美しい寮歌を作曲している「府立のシューベルト」です。

第五寮歌「紫の霞煙れる」

 学生寮のなかった府立高校にも昭和十八年末、学校から東に五分ほど坂を下った呑川べりに寮が出来ました。旧制高校の寮には、肩を組んで乱舞するストーム、窓からしょんべんをする寮雨、眠気を払って勉強し元気を出しために寮歌が付きものです。

 太平洋戦争はすでに全戦線で日本軍の敗退が始まっており、生徒はしばしば軍需工場などに動員され、学校の授業も満足には行われなくなっていたのでしたが、そんな時局を斜めに見つつ、府立の学生たちは普遍を求めて次々と幾つもの寮歌を作り、歌ったのでした。

 現在に日本社会は「濁り充つ眠りの巷」「木枯らしの吹く荒野」のようだが、われわれは友と語らいつつ「一筋の清水の流れ」となろう、「晴けき空を仰ぎつつ」「茨を踏んで歩き続けよう」。

 軍閥独裁政権の下、敵国欧米文化の勉強が制限され、読者や表現の自由も奪われた中で、なおも未来を信じ、真理を目指して苦難の道を行こう、彼方にはあこがれの星が瞬いているではないか、と呼び掛ける歌。哀歓をこめた節回しのうちに力強さも秘められた、歌いやすい名歌で、創られた時勢をおもんばかると感激深いものがあります。

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