女子バレー部は、昭和27年、斎正子先生の勧めで、4期を中心に創設されました。
当時女子の生徒は1学年50人に過ぎず、9人制のよちよち歩きのひよこで、男子と一緒に細々と練習をしていました。
しかし5期に目黒区中学での経験者を迎えてチームの形を整えました。
初代のコーチは男子と同じ1期の大塚福次郎でした。
やがて、コーチに4期の土屋純夫、小中陽太郎、5期の高橋清彦、6期の吉田敬一が当たるなど代代卒業生がコーチとして熱心に後輩の指導をすることが伝統となりました。
7期生が加わった時から、女子の第1回軽井沢夏合宿が始まりました。
ご父兄が別荘を使わせて下さり実現したものです。
浅間山の噴煙を身ながら汗を流したのが楽しい思い出です。
その後、沼津の牛臥寮でも春合宿を行ったり、白馬村に変ったり、9期の宮内紀靖がこまめに面倒をみました。
しかし女子バレーが東京の強豪と伍して、戦うチームに変質したのは、甲田充彦先生が体育科の教師として赴任してからです。
1学年の女子生徒も100人に増えていました。
21期の頃には、今でも目黒区のママさんバレーで活躍するような選手も登場しました。
また25期〜27期生のチームは、東京都のベスト16になり関東大会に出場するという戦績を修めています。
この時の経験者25Dの大浜あつ子(旧姓 疋田)は、その後母校の体育の教師(非常勤)を17年間務め、後輩の指導に当たりました。
やがて、2層の体育館も完成し、女子バレーは、毎年3月末、男子と共同で、現役男女とともに「都立バレー部OB会」を開催、体育館で汗をバガし、その後教室で交歓会を開いています。
母校が新しい形になり、体制が変わっても、9人制が6人制になっても存続し発展したように、都立バレーが同窓生の心の中に存続し発展続けることを信じて。
(以上、いろいろな方
から情報を戴いて纏めたものです。文責8A 石井典子)